これも、佐伯先生の自由とは何かと一緒にAmazonで買った本。
- 作者: 小田中直樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2006/06
- メディア: 新書
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西洋経済史学者の大塚久雄先生の文章を中心にすえ、現代の日本が直面する問題は、戦後日本が直面した「民主主義」の問題と類似しているのではないかという問題提起から出発する。
小田中先生は、この二つの時代に共通するキーワードを「個人の自律」と説明する。
そして、大塚先生の語る「個人の自律」に対して直接的・間接的になされてきた評価・考察を通して、現代に通用する「個人の自律」論を説く。
文章は、平易でわかりやすく、かつ佐伯先生の本と違って道徳に偏りすぎず*1。
様々な文献・思想を通して大塚先生の言説を再考するという形を取っているので、文献へのリンクがしっかりしている。
「個人の自律」について考え始める入り口として最高の一冊。
今、僕は、「啓蒙とは何か、情報技術は個人の啓蒙を支援できるのか」という疑問から出発して「なぜ啓蒙されなければならないのか」「啓蒙をどのようにして行うのか」という至極当たり前の疑問にぶつかっている。小田中先生の言説に寄れば、「個人の自律」はカントのいう「啓蒙」と目的を同じにした概念だという。
「なぜ啓蒙されなければならないのか」という疑問は、佐伯先生が指摘するように、カントが前提とした超越的存在である神もなく、従うべき道徳観念も薄れてきてしまった現代においては答えることが難しい。
なんとなく啓蒙というと「賢くなるために」というイメージがあって、「そんなこと余計なお世話」だと、言われてしまったときに、どうやって答えればいいのだろうかという問題である。戸塚ヨットスクールよろしく、そんなやつは殴ってしまえ、も一つの結論だけれど。
これに対して、小田中先生は認知心理学者のスティーヴン・ピンカーを引用して
ここでピンカーが「心」とよんでいるものは、先にぼくが主体性とよんだものにほかならない。ぼくらの主体性は、ぼくらの脳が活動することによってつくりだされている。個々の脳には個々の(場合によっては複数の)主体性が対応する以上、主体性は実在するといえる。この主体性が自律的にあれやこれやのアイデンティティをつくりあげ、あるいは選び取るプロセスこそ、まさに個人の自律にほかならない。
第2章 自律するということ、p72-73
という。ピンカーは人間の心的活動はコンピューターによってエミュレートでき、それは普遍的、生成的な計算モジュールからなるシステムである、と言っている。
ただ、この言説に拠るならば、「主体性」すらも計算可能で、計算可能であるということは、その結果もまた計算可能だということだ。とすればコンピューターによる統合が可能なのだから、やっぱり個人の主体性なんてものは存在しないんじゃないかと思ってしまった。
その後も第3章2項「啓蒙は必要か」でも触れられているがなんとなく結論は出ずじまいという感じだった。
また、「啓蒙をどのようにして行うのか」というのは、情報技術は「啓蒙」にたいしてどのようにアプローチすべきか、という問題意識から出てきた。
小田中先生は、メタ認知論を引き合いに出して、
メタ認知的活動とは、自分の認知の適切さをモニターし、そのうえで、自分の認知をコントロールするべく目標や計画を設定したり修正したりすることである。個人が自律するには「自ら立てた規範に従い、自らの力で行動する」べく自分の思考活動をモニターおよびコントロールすることが必要だろうから、他者啓蒙とは、自律にかかわるメタ認知的活動のやり方を教えこみ、受容させることを意味している。
第3章 自律のメカニズム、p116-117
と述べている。また
他者啓蒙とは、自律が必要だとする心性を自発的に受容することを他者に説得的に強制する
第3章 自律のメカニズム、p89-90
とある。ここで、メタ認知論を勉強すればなんとなく疑問に答えが出そうだということを知って小躍り。
全体を通して「個人の自律」とはどういうことかということをわかりやすく述べているけれど、「必要なのか」「どのように行うのか・行われるのか」といった問題については、他者の言説を紹介し大塚先生の言説と比較することにとどめ、結論を出すことはしていない。
というわけで、読後感は「それは自分で考えろ」と言われている気分になった。
小田中先生の専門はフランス社会経済史で、2008-05-07 - 小田中直樹〈たまに〉仙台ドタバタ記*2に、
これでどうにかホームグラウンド、つまり近代フランス社会経済史研究にもどる準備ができました。
とある。つまり、どうやらこの本はアウェイで書いた本らしい。「このレベルでアウェイ…」とショックを受け、もう一度読み直し、修論に備えてメタ認知論を勉強しようと、心引き締まる一冊だった。
29冊目。
うーん。ムリだな50冊は。