注:これは日記であり何ら生産的な提言などを含みません。
ん、去年の12月初旬に研究室関係で某社のシステム開発を依頼されて、1月15日に無事?納入できた。
正直言って辛かったし、あぁいう仕事の仕方はもう二度とやりたくない。
元々の納入日は12月22日だったんだけれども、12月初旬に依頼された時点で
「それだけに集中して開発して2か月くらいかかりますよ」
「でも、年内って言ってしまったから」
・・・その瞬間、ピノキオの寸づまりみたいな小人さんが、部屋のすみっこからひょっこり出てきて、僕の顔を一瞥してニヤッと笑い、小脇に抱えたラッパをおもむろに構えて死の行進曲を吹き始めたのをはっきりと覚えています。
僕の頭の上あたりには
「ズガビーン」
とか、いやむしろ
「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」
とかいう擬音が出ていたのではないかと。
まぁ、実際、依頼者本人には見えなかったみたいですので、見える人にしか見えない擬音でしょうけど。
とにかく、そんなわけで開発が始まったわけですが、案の定、12月22日の段階で休みなしで5徹しました。
テストもほとんどできず。
当日は現地納入だったので某社の会議室まで伺って、設置して、担当者の方に受け渡し説明をしました。
当初は問題なかったのですが、ちょうど20分くらい経過したところで致命的なバグが発生して・・・
結局、締め切りを1月15日に延ばしてもらって、どうにかこうにか納入できました。
で、この出来事について、どうこう言うわけではないんです。某社とは関係なくとも、それなりに後につながるモノを作れたので。
僕には、経験的に3ー4年に一度、なにごとにもやる気のでない期間があります。僕はそれを「朔」と呼んでいます*1。心理学用語とかあるんでしょうけど、とにかく陽にやる気が出てこない期間、それが「朔」です。
10年前、当時、高専三年生だった僕は、二度目の留年を市村先生に宣告されました。
母親とともに呼び出された、今はなき新宿の談話室滝沢で
「君には高専は向いていない」
「別の道を考えた方がいいのではないか」
「三年次卒業の資格は取れるから、大学に行ったらいい」
市村先生は、そういったことをおっしゃっていたように思います。
まぁとにかく学校に行っていなかったので、留年は自然なことでした。しかし、学校を退学になったからと言って、受験勉強をするはずもなく。そのあたりのことはむかし書いた猫用の窓 - Paradigm Shift Design*2というエントリで触れています。
このときの朔は、友人が行くというので無理矢理のっかって、稚内に移住し環境ががらりと変わったことで一応の終わりを告げました。半年か1年くらいは引きずっていたけれど。
4年前、未踏つながりで名古屋にきた僕は、ある人に
「情報技術で人を幸せにすることなんてできないんじゃない?」
「もっと他に考えるべきことや、やるべきことがあると思うけど」
と、「ざわっざわっ」という胸騒ぎのするようなことを言われました*3。
当時、未踏が終わって、たいした成果も残せなかったこともあり、どうとでも受け流せばいいものを本気で悩み、悩んだ末にお金もなくなってしまったので、休学してリオにお世話になることになったわけです。
あのときは、かなり漠然と「情報技術は人を幸せにできるものだ」と考えていたので、考えているつもりで何も考えていなかった自分が許せなかったのかなぁ、と思っています。
結局、このときは『情報技術が「直接的に」人を幸せにすることはできない』と自分なりに結論をつけて決着させるまでに半年かかりました。
展開して言うと*4、
「情報技術で直接人を幸せにすることなんて逆立ちしたってできない。でも情報技術を使って道具を作ることはできる。その道具を使うことによって誰かが幸せになるというのが理想。そして、誰にどういうシチュエーションで使ってもらいたいのか、どのように幸せになってもらいたいのかということを考えることこそが重要。強いて言えば、その道具をどうやって実現するか、なんてことはそんなに対した問題じゃない。僕が、たまたま情報技術について少し詳しいから、まずはそこから考え始めるだけ。僕にとって情報技術は僕が幸せになるための道具だ」
って、長ったらしい理屈でした。
さて、今回の朔の原因ははっきりと分かりません。恐らく、11月の半ば頃から、強いて言えば去年一年間そうだったと思うのですが、何事にもやる気が出ない状態でした。
もしかしたら、4年前の朔を引きずっていたのかもしれない。それが、前述の某社の件で噴き出したのではないかと思います。
漠然としたものの正体がなんだったのかを振り返って考えれば、恐らく
『情報技術が「直接的に」人を幸せにすることはできない』
ということの裏返し、
『情報技術で「間接的に」人を幸せにする』
ということは本当にできることなのだろうか。という疑問が端緒でした。
一般的なコミュニケーションによってすら「人を幸せにする」なんてできていないのに、情報技術で「人を幸せにする」なんてどだい無理だ。
ということだったのではないかと思います。
それが、先週の水曜日のグダグダなゼミで、大平先生に
「君はこの仕組みを誰に使ってほしいと思っているのか」
「僕らは使えと言われているから使っているけれど、君は本当に自分で使っているのか」
と、問われました。
そこで、「なにか忘れてないか」とはたと気がつきました。
「おまえが幸せにしたい人ってだれだよ」
4年前は、どうやら「人」が「人類」でした。いや、そんな高尚な考えではなく「僕以外の誰か」という漠然としたものだったのだと思います。
今、冷静に考えてみると、聖人君子ではなく、天才ではなく、独裁者ではなく、芸術家でもない、凡人の僕には「人類」という漠然とした言葉をもってして、何かを具体的に想像する能力が決定的に欠けています。
僕が想像できる「人」は、抽象的な「人」ではなく具体的な「人」です。
家族の、研究室の、稚内の、高専の、地元の、ファミールの具体的な面々が限界です。パプーのことを、遠藤君のことを、木内君のことを、長尾先生のことを、社長のことを例にとって、彼らをもっとつぶさに観察し、彼らが「幸せになる」ようなシステムではなく、彼らを「喜ばすことのできる」ようなシステムを作るべきだということが、今の僕にとって重要だということに、気がつきました。
あれ?そんなことをウェブサービスのビジネスモデルと広告中心の収益モデル - Paradigm Shift Designで書いていなかったか?
ま、とにかく今回の朔は終わったんじゃないでしょうか。
まだ、曇り模様ですが、いま、ちょっとずつやる気がでてきています。
しかし、小心者で猜疑心が強くて狡い僕は、本当にメンタルに左右されるなぁ。ほんのちょっとのことなのに。
というわけでBlogもぼちぼち更新していきます。