猫用の窓
2004年12月15日の日記
もうこのまま起きてやれとか思ってるKentです。
小さな世界の小さな出来事: ICHINOHE Blog。
大きな世界を感じるための窓がある家に住んでいるのに、遠くから訝しげに眺めるだけで、窓の近くによろうとしない、あまつさえあけてみようなんて思わない。
そんな時期。
俺は18歳まではそうだった。18歳。この学校に来る前。
何がきっかけで変わったのか、はあまり言いたくない。
けれど、本当に失いたくないものを失ってしまって、いやあの時、失ったときはきっと別になくしてもかまわないものだと思っていた。あるいはそれすらも考えたことがなくて、当然のように存在するものだと思っていたのかもしれない。
とにかく、レッテルがはがれて消えてしまった後1年ぐらいかけて物を考えることを覚えたんだと思う。
それまでは、真剣に物事に相対したことがなかった。俺に影響を与えるものも、影響することもないと思ってた。世の中なんてそんなもんさ。俺がいなくたって回ってる。そんな感じ。目に映る生き生きとしたものすべてが憎らしくて、でもそれを無意識に考えないようにしていた。
19歳になった頃。
自分の周りが激しく動いてた。
ものを考えていないと自分が消えてしまいそうだった。
拠り所を求めていたんだろうと今では思う。
居場所がなかった。自分で捨てたんだけど。
20歳から1年間、物事をゆっくりと考える時間ができた。
居場所は相変わらずなかったけれど、毎日何かを考えてた。
でも、相変わらず目標に向かって、やらなきゃいけないことをやらされている気分がして嫌だった。何より嫌だったのは結局18歳になるまでに身についた悪癖が直らなかったことだと思う。
一番苦しくて嫌な時期だった。自分の将来を考えても、何も思い浮かばなくて気持ち悪くなった。真っ暗闇で進むべき道が見えなかった。どこに行けばいいのかわからなかった。自分が何をしたいのか考えても思い浮かばなかった。
だから、稚内に来た。
稚内に来て1年ぐらいは、多分引きずってたと思う。
今もまとわりついている。。
相変わらず、取ろうと思えば取れる単位をとらないで放置しているし。4年生になったときに苦労するのはわかっているのに。
でも、なんとなく自分のやりたいことが形になってきた。今は将来を考えても不安にならない。自分がやりたいこと、どんな道に進めばいいのか、具体的にはっきりしてる。
でも、やっぱりそれにも疑問を持つこともある。
そういう時はやっぱり、大人に相談しようと思う。俺は23歳。社会的には大人だけれど全然まったくまだまだ子供。
好きなことを考えて形にすることの楽しさに5年間もかけてようやく気がついた。
きっと、18歳のときに誰かに出会っていればもっと早く気がついたのかもしれない。こればっかりは自分で気がつかないといけないんだと思う。
でも、気付くためには人とコミュニケーションをとらないといけない。そのための環境はきっとあなたの周りにあります。気がついていないだけ。
やらされてる感もってませんか?
やりたいことをやりたいだけやればいいんだ。きっと。
あぁ眠い。
なんだか文面だけ読むと、イッチーに上から物を言っているように読めちゃったりして。自戒の文章のつもりみたい。
しかし、何をわかっちゃったつもりになってんでしょうね、こいつは。