Paradigm Shift Design

ISHITOYA Kentaro's blog.

「アメリカ・イラク」、「日本・北朝鮮」

昔の日記,2003年2月6日

引用文にすると,読みにくいので,いくらか整形

      • -

まぁ、タイトル読めば分ると思いますが重系の話です。
最近書いてなかったけど、ずっとずっと長いこと書きたいなと思っていたテーマです。
どうしてかって聞かれてもまぁ、理由はないけれど、自分が「今」考えてることを少し時間がたってからまた振り返ることができるって言うのはいいことだと思うからでしょうか。
大所高所のお話は疲れるなぁと思う方は、最後の加藤周一さんの文章だけ読んでください。ちょっと集中して読む価値のある文章です。


さて、アメリカ、去年の一般教書演説でブッシュ大統領は次のようにのたまわれました。

対テロ戦争はアフガンで終わるどころか、まだ始まったばかりだ。〜
この戦いには二つの目的がある。ひとつは、テロリストのキャンプを壊滅させ、策謀をくじき、テロリストを裁きにかけること。もうひとつは、生物化学兵器や核兵器を入手しようとするテロリストや政権が、米国と世界に脅威を与えるのを阻止することだ。〜
アフガニスタンで証明されたのは、高価な精密兵器は敵を負かし、罪の無い人たちの命を助けるということだ。こうした兵器がもっと必要だ。〜
良い職場環境のためには、安定的なエネルギー供給も必要だ。技術革新に努め、インフラを整備する必要がある。国内でのエネルギー生産を増大させ、外国の石油への依存度を低下させていく必要がある。〜
http://members.tripod.co.jp/sepide/page024.htmlより引用

興味があればきちんと読んでください。長いので略したところにあなたの脳みその疑問を埋めるピースが落ちているかもしれません。
まぁ、上のでブッシュ大統領がゴアに1%未満の差の得票率で競り勝ったあと、特に何もせずにのほほんと終わるであろう彼の大統領生活に劇的な変化を与えた、ワールドトレードセンターツインタワー倒壊という未曾有のテロを経験したあとのアメリカがどこに向かうか、その道付けが見えるかと思います。
まぁ、乱暴に略せば「テロ撲滅という口実の元に、軍備を増強するための、石油を確保するための、アメリカのための戦争をおこないますよ」ということでしょう。
これを踏まえて、今年の一般教書演説を見てみましょう。

()はkent註
我々はこの戦いがどこで始ったかを忘れない。政府は国土を守り、国民を守るために空前の措置をとっている。我々は国境と港での警傭を強め、生物兵器による攻撃への傭えも進めた。さらに今年、弾道ミサイルに対する防衛システムの配傭も始めている。
米国の責務は変わらない。ヒトラーや軍事独裁共産主義は自由な人々の意志や偉大な連合、米国の努力の前に敗れ去った。我々は国民の安全とすべての人類の希望を守らなければならない。


(北朝鮮に関して)
米国は韓国、日本、中国、ロシアと協調し、平和的解決を探っている。
核の野望を断念さえすれば、世界で尊敬を獲得し、国民にとっての復興を達成できる


(イラクに関して)
毎年、フセインは大量破壌兵器を製造し維持するために、膨大な費用をかけている。どうしてか。唯一可能な説明は、支配し、脅し、攻撃するためだ。核兵器や化学・生物兵器を手にすれば、フセインは中東を支配しようという野望を再び抱き、この地域を大混乱に陥れるかもしれない。


過去2年、多くの試練を経た米国は、小異を捨てて大義のために静かに団結した。米国民は意志の堅固な国民であり、時の試練に耐えてきた。逆境の時にこそ米国の気骨があらわになる。
米国は強い国家だ。力の行使においては名誉を重んずる。他国民を征服し、その自由を犠牲にすることは決してない。米国民は自由の民だ。
自由はすべての人の権利であり、すべての国の未来だ。自由は米国がもたらすものではない。神のたまものだ。
http://www.01.246.ne.jp/~aoyama/bush-speech-2003.1.htmより引用

以上。
あいた口がふさがらなくなる前に、手で口を閉めましょう ;D
さて、口はしまりましたかね。


この演説の何がすごいのか。
どこがすごいのか。
「すべての基点はどこにあったか」
という事の根本的な考え方が抜け落ちているところがすごいのだ。
なぜテロがアメリカに対して行われたのか。
どうして地球始まって以来のショッキングなテロ事件が起こったのか。
それは、アメリカという国が1783年にパリ条約で正式に国家として認められてから、200年余、何を行ってきたのか、どのようにして今の地位を築いてきたのかということに尽きると思うのだ。


昨日だか、一昨日だか、「コラテラル・ダメージ」という映画を見た。
一時間ほど見て気持ち悪くなってきたが最後まで見た。これがアメリカが世界に向けて、そしてもちろん国内に向けて発信するプロパガンダに過ぎないことは分っているが、分っていても何かどす黒いものを感じざるをえなかった。映画を見て楽しむのは人の勝手だが、この映画を見て楽しかったというやつとは俺は友達にはなれないだろう。それぐらいショッキングな映画だった。
一言、一言だけ、感想を言うとすれば「因果応報」ってなんだか知ってるのか?です。


第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦時代、湾岸戦争、中東戦争アフガニスタン朝鮮戦争ベトナム戦争。中東の小国同士、アフリカの小国同士の小競合い、紛争、内戦。ここ100年間の世界中で行われた戦争の中でアメリカという国がかかわらなかった戦争がいくつあるだろうか。
アメリカは、2002年の一般教書演説でもひしひしと伝わってくるだろうが、ただただ自国の利益のためにアメリカ主義的民主主義を他国に押し付けるために二次大戦後50年間戦ってきたのではないのか。


そんなことをいうと、国益にならないことのために、わざわざ10兆20兆という金を出して戦争に介入する馬鹿がどこにいるのだといわれそうだ。
何か目的があって、戦争を起こして、後付の理由をつけて自国の利益とする。
世界の用心棒を気取り、平和を守るのはわれわれだという。
そして、厚顔無恥にも何が悪いのだ!というのだ。



なぜテロが起こったのか。


武力で押さえつけたから?
経済制裁をしたから?
アメリカだけ肥え太ってるから?
なんかむかつくから?


ちがうだろう。アメリカ人がテロを起こした人と同じ人種の人間あるいは社会的に同じグループに属する人間を「殺したからだ」
間接的であろうが、直接的であろうが、人は身の回りの人を、見ず知らずの人間に殺されると気が狂いそうになるほどその人間を恨むそうだ。
すこし、頭を働かせて想像して見たら簡単なことだと思う。
もしいま、みかちゃんがアメリカ軍に殺されたら汁は一生アメリカを恨むだろう。
もしいま、彼女をアメリカ軍に殺されたら俺は一生アメリカを恨むだろう。
もしいま、かなちゃんをアメリカ軍に殺されたら一生アメリカをうらむだろう。
もしいま、まみさまをアメリカ軍に殺されたら稲城国民はだまっちゃいないだろう。
こんなこと、タラレバでは考えたくないけれど少し考えれば分ることなんだ。
猫でも犬でも豚でもサルでも牛でも馬でもわかることなんだよ。
なのになんで、国家元首とか国粋主義者とか短絡思考な人間とか、踊らされている人とか、なんでわからないんだ!?


50年後、ブッシュ大統領は地球始まって以来の未曾有の危機を回避できなかった男として、アメリカは未曾有の危機を生み出した元凶として、こき下ろされているかもしれない。
アメリカが「大義を捨てて小異のために静かに団結」するのならば、もっと違う展開になるのかもしれないが。


今日、日本でも同じ状況に陥りつつある。
北朝鮮を叩き潰すような度胸はあいにく持ち合わせていないものの、状況は似たようなものだろう。
確かに北朝鮮は第二次世界大戦末期の日本にそっくりな国だ。
北朝鮮は、最大の敵であるアメリカの傀儡政権である日本の情報を詳しく知るために拉致を行って、敵対国家の情報を得ようとしたのだという。
拉致自体は許されることではない、大事を遂行するための必要な犠牲であると断言する事ができるはずもない。
だからといって、報復戦争を起こすようなことをしていいのだろうか。
このまま、周辺事態法やその他関連法案が国会を素通りしていけばいつか必ず戦争が起こるだろう。


日本は世界で唯一、第二次世界大戦後、ある意味での洗脳を免れてきた国家であると思う。
内紛もなく、直接かかわった戦争もなく、のほほんとすごしてきた。


右よりな人、あるいは文化人であってもそろって
「何度アジアに向けて謝罪をすればいいのだ」とか
「謝罪ばかりしていて、そんなことでは日本の外交姿勢が問われる」
だとかいう。
そして、マスメディアは北朝鮮が拉致したことは伝えても日本が朝鮮人と呼ばれる人たちにどのようなことをしてきたのかは一切報じない。
拉致という問題、朝鮮半島の問題を俯瞰的に考える上できってもきってもきっても切れないもののはずなのに。


最悪なのは今の首相だ。名前を書くのも情けなくなるようなあいつ。
「諸外国との外交において、日本の主張あるいは外交姿勢というものが、一貫したものであり外からの干渉を受けたからといって、靖国参拝を取りやめることは日本の国益を損ねることになる」
とはよく言ったものだ。一般教書演説ほどのインパクトはないにしろ口はふさがらない。
国益なんてものは他のもので稼いでほしいものである。コメントするに値しないというか・・・俺が書いても馬鹿らしいのでやめておく。


何がいいたいかというと、一つ一つ自分たちで考えて消化しないでアメリカの敷いたレールに乗せられていると、いつか戦争がおきますよ。そしてテロがおき、戦争が起きいつのまにか誰もいなくなりますよということです。


最後に、今月の「日中文化交流」に載っていた、加藤周一さんの文章を引用して終わります。

《再録》『日中文化交流』2001年1月1日号より
        新世紀の希望、または「歴史意識について」

                日本中国文化交流協会顧問
                評論家           加藤周一


 二十世紀に日本国は、二つの過ちを犯した。その前半には、軍国日本が朝鮮半島を植民地化し、中国を侵略して、自滅した。後半には、経済大国日本が、朝鮮、韓国とも、中国とも、確かな信頼関係を構築することに失敗した。前者は武力による過ちであり、後者は金儲けに専心した過ちである。古語にも「過則勿憚改」という。二十一世紀の希望は、二十世紀の過ちを改めることから生じるだろう。それが「歴史意識」の問題である。

 歴史は過去から未来へ向かって流れる。そこには持続と変化がある。何が変わらず何が変わったのか。周辺のアジア諸国に対する軍国日本の態度と、その価値観は、敗戦後半世紀の間に、根本的に変わったろうか。もし変わったとすれば、未来の日本が同じ過ちをくり返すことはなさそうである。変わらなかったとすれば、同じ過ちをくり返すだろう可能性を排除できない。すなわち現在の日本社会が過去をどう見ているかによって、外国が――事に大きな被害を受けたことのある中国や朝鮮半島の人々が、未来の日本を信頼できるかどうかは決まるのである。

 その信頼がなければ長期的に見て、日本の安全を保障することはできないし、東北アジアの政治的安定を期待することもできない。日本国は国際的に孤立し、地域の緊張関係が続き、最悪の場合には軍備競争さえもあり得るだろう。その条件は戦後のドイツのそれに似ていなくもない。敗戦後のドイツ人たちは、ナチの侵略したヨーロッパ諸国、殊に近接するフランスやポーランドとの和解・信頼関係の構築なしにはドイツの未来がないことを理解していたようにみえる。そのために彼らは「何度謝ればよいのか」と呟く代わりに「過去の克服」に全力を挙げ、高官がナチ弁護の「失言」をくり返す代わりに、ナチへの決別を自他に明確にしようとしてあらゆる手段をとりつづけてきた。そうすることによって、またそうすることによってのみ、ドイツとヨーロッパの未来は開けたのである。

 おそらくは日本国の幸福な未来も、いきなり世界平和ではなく、日中間の友好関係の足もとから始めるほかはない。それこそが二十一世紀の課題であり、長い努力の過程である。その過程は、政治的な状況の一進一退を超えて一貫しなければならず、当事者の外部の力や流行から独立していなければならない。したがって文化交流の意味は、決定的に大きい。人の心に触れるのは文化だからである。


「日中文化交流」 No.677 2003.2.1発行 P3より引用

長かったけど、以上です。

因みに・・・過則勿憚改

      • -

うーん.世の中に対する不信感って言うのが伝わってくるねぇ.2003年かぁ.
あれから,アフガン戦争,イラク戦争と来て,漸く平和が主題になってるね.揺り戻しかな.


「莫大な戦費を捻出する」ことが国益にそぐわないから,「平和」が主題になっているのなら,悲しいけれど.
っていうか,「なかった」んだよねぇ,大量破壊兵器.